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広島地方裁判所呉支部 昭和39年(ワ)147号 判決 1976年5月20日

原告(反訴被告) 田村義孝 ほか一名

被告(反訴原告) 国

訴訟代理人 下元敏明 下村文幸 ほか二名

主文

一  反訴被告田村義孝は、反訴原告に対し、別紙目録(一)記載の各土地につき所有権移転登記手続をせよ。

二  反訴被告末田タカエは、反訴原告に対し、別紙目録(二)記載の各土地につき所有権移転登記手続をせよ。

三  本訴原告両名の請求をいずれも棄却する。

四  訴訟費用は、本訴、反訴とも原告両名(反訴被告両名)の負担とする。

事実

第一当事者の求める裁判(以下、原告(反訴被告)を原告と、被告(反訴原告)を被告という。)

一  原告らの本訴請求の趣旨

(一)  原告田村義孝と被告間において、別紙目録(一)記載の各土地が同原告の所有であることを確認する。

(二)  原告末田タカエと被告間において、別紙目録(二)記載の各土地が同原告の所有であることを確認する。

(三)  訴訟費用は被告の負担とする。

二  本訴請求の趣旨に対する被告の答弁

(一)  原告らの請求を棄却する。

(二)  訴訟費用は原告らの負担とする。

三  被告の反訴請求の趣旨

(一)  主位的

(1) 原告田村義孝は被告に対し、別紙目録(一)記載の各土地につき所有権移転登記手続をせよ。

(2) 原告末田タカエは被告に対し、別紙目録(二)記載の各土地につき所有権移転登記手続をせよ。

(二)  予備的

(1) 原告田村義孝は財団法人国家公務員共済組合連合会に対し、別紙目録(一)記載の各土地につき所有権移転登記手続をせよ。

(2) 原告末田タカエは財団法人国家公務員共済組合連合会に対し、別紙目録(二)記載の各土地につき所有権移転登記手続をせよ。

(三)  訴訟費用は原告らの負担とする。

四  反訴請求の趣旨に対する原告らの答弁

(一)  被告の反訴請求を棄却する。

(二)  訴訟費用は被告の負担とする。

第二当事者の主張

(本訴)

一  請求原因

(一) 別紙目録(一)、(二)記載の土地(以下本件土地と総称し、目録(一)の土地は甲地、同(二)の土地を乙地という)は、田村対造の所有であつた。同人は昭和二〇年三月一九日死亡し、原告田村義孝が家督相続した。

(二) 原告末田タカエは、昭和三九年一二月二五日、原告田村から乙地を買受けた。

(三) 被告は、原告らの所有権取得を争うので、本件土地の所有権確認を求める。

二  請求原因に対する答弁

(一) 請求原因(一)の事実は認める。

(二) 同(二)の事実は争う。

三  抗弁

(一) 買収

(1) 本件土地は、呉市坪之内区画整理組合(以下整理組合という)の土地区画整理施行地に含まれ、田村対造は、整理組合の組合員であつた。

(2) 被告(旧海軍)は、昭和一三年一〇月二四日、呉海軍工廠海軍共済組合(以下共済組合という)名義で本件土地を含む施行地内の土地(一二、五六一坪二四)を代金三五、九〇〇円で買受けた。

仮りに、共済組合が右施行地内の土地を買受けたとしても、被告(旧海軍)は、昭和一九年一二月二八日共済組合から右土地を買受けた。

(3) 右売買は、整理組合が土地所有者に代理して、被告(旧海軍)もしくは共済組合と売買契約を締結したものである。

(二) 取得時効

(1) 被告(旧海軍)の自主占有

被告(旧海軍)ないし共済組合は、整理組合から前記(一)(2)の如く本件土地を含む施行地区内の土地を買受け、遅くとも昭和一四年一〇月二三日までに、その全部の引渡を受け、以来右買収地と民有地の境界に防諜用石垣をめぐらし、本件土地付近に工員教習所校舎、寄宿舎の建築をなし、所有の意思をもつて平穏公然にその占有をはじめ、以後本件土地を占有している。

(2) 時効の完成

<1> 共済組合もしくは被告(旧海軍)は、前記売買により本件土地の所有権を得たと信じ、信じたことに過失はないから、占有を開始した昭和一四年一〇月二三日から一〇年間を経過した昭和二四年一〇月二四日時効が完成した。

<2> 仮りに過失があつたとしても二〇年間を経過した昭和三四年一〇月二四日に時効が完成した。

四  抗弁に対する認否

(一) 抗弁(一)項の事実中(1)の事実は認め、(2)(3)の事実を争う。

(二) 同(二)項の事実中、(1)の事実は、全部争い、(2)の事実のうち、<1>の事実は否認し、<2>の事実は争う。

五  再抗弁

(一) 事情変更による契約解除

仮りに被告(旧海軍)もしくは共済組合との売買が有効としても、右売買は、戦争勝利を前提に、軍用地として使用する目的で売買されたものであるところ、戦争に敗れ、憲法で軍隊を保持しなくなつたものであるから、軍用地を所有する必要がなくなつた。このような根本的事情の変更により、原告らは被告に対し、右売買契約につき解除権を取得し、原告らは、被告に右解除の意思表示をなした。

(二) 時効の中断

(1) 昭和二〇年九月から同二一年二月ころまで、原告田村は、所有の意思で、原告末田、田村カメ、安田ノブらをして本件土地を耕作させて占有した。

(2) 本件土地は、昭和二一年二月一日から同三一年八月九日まで占領軍、駐留軍により使用された。この間の占領軍、駐留軍の使用は、自主占有である。

(三) 被告の時効取得の主張は、正当な権利なくして国民の土地を取得する結果となり、国家の存在目的(国民の福祉増進とその擁護)からみて許されず、権利の濫用となり無効である。

(四) 登記の欠如

乙地に関し、被告の時効取得が完成しても、右時効完成後、原告末田は、乙地を買受け、昭和三九年一二月二五日、その旨所有権移転登記手続をなした。従つて、原告末田に対し、被告は、乙地に関する時効取得を対抗し得ない。

六  再抗弁に対する認否

(一) 再抗弁(一)、(三)を否認する。

(二) 同(二)の事実を争う。(二)(2)につき、昭和二一年二月一日から同三一年八月九日まで占領軍、駐留軍が使用していたことは認めるが、接収は使用収益権のみの接収、使用は使用貸借であつて、被告の占有は継続している。

(三)同(四)の事実のうち、原告らの主張の登記のあることを認め、その余を争う。

七  再々抗弁

(一) (通謀虚偽表示)

原告らは、本件土地が被告(旧海軍)もしくは共済組合によつて買収されたことを知つていた。そして、原告ら間の売買は通謀のうえこれを仮装したものであるから、原告末田の取得登記は無効である。

(二) (背信的悪意)

原告末田は、昭和三〇年一〇月原告田村に代つて被告の買収を前提として被告に本件土地を払下げの陳情までしている。しかるに被告が未だ乙地につき所有権移転登記を了していないことを奇貨として、原告田村から乙地を買受けたとして、即日その旨の登記を了し、被告に右売買を対抗せんとするのは、著しく社会正義に反し、信義則にもとる行為である。従つて、同原告は、被告の買収による乙地の取得につき登記の欠缺を主張しうる正当な利益を有しない。

八  再々抗弁に対する認否

(一) 再々抗弁(一)(二)の事実は否認する。

(二) なお、(一)(二)の事実のうち、主張の如き陳情は、財務局員に欺かれた同原告が、錯誤に基きなしたもので、同原告の真意ではない。

(反訴)

一  請求原因

(一) 主位的請求原因

被告は、本訴で主張した買収(本訴抗弁(一))、或いは時効(同(二))により本件土地の所有権を取得した。

(二) 予備的請求原因

仮りに共済組合が本件土地を田村対造から買受け、その後被告(旧海軍)において共済組合から買受けたとしても、共済組合の権利、義務は、昭和二〇年一一月三〇日財団法人共済協会に承継され(勅令第六八八号)、更に、昭和二五年一二月一二日、国家公務員共済連合会に承継され(昭和二五年法律第二五六号)たところ、被告は、国家公務員共済連合会に対し、本件土地の所有権移転登記請求権を有するから、右連合会に代位して予備的請求の趣旨記載のとおりの判決を求める。

二  請求原因に対する答弁

共済組合の承継関係について不知とするほか、本訴主張と同一であるから、これを引用する。

第三証拠<省略>

理由

一  本件土地が、もと田村対造の所有で、整理組合の土地区画整理施行地内に含まれていたことは、当事者間に争いがない。

二  先づ、被告主張の買収の有無について以下検討する。

(一)  <証拠省略>によれば、被告(旧海軍)は、呉海軍工廠(以下呉工廠という)の見習工員教習所および寄宿舎の新設を計画したが、資金調達が困難であつたため、共済組合の資金で右計画を実施し、その調達が可能となるまで、右施設を有料使用することを決め、その旨共済組合に要請したこと、そこで共済組合は、右要請を容れ、右施設の敷地として整理組合の右施行地区内の土地一五六〇〇坪の買収をすることとし、昭和一三年一〇月二四日、後記経緯のとおり、整理組合を売主として、本件土地を含む右施行地区内の土地一五六〇〇坪を代金三一五、九〇〇円(造成費を含む)で買収したことが認められる。

(二)  <証拠省略>によれば、整理組合は、昭和一三年六月二九日、呉工廠から右施設の敷地として、施行地区内の土地買収の交渉を受けたが、整理組合の組合長、組合副長二名、設計担当の呉市都市計画課長石田某ら主だつた者は整理組合の組合総会の議決があれば、組合員所有の右施行地区内の土地を整理組合によつて売却処分することができると考え、共済組合の申し入れを承諾することを決めたこと、その後整理組合は、翌一四年三月三一日に至つて組合総会を開催し、買収の件を上提して組合員の多数決により買収を認める旨の事後承諾を得、また売買代金は、二五万円を昭和一六年までに受領し、区画整理事業費に充て、残額は、整理組合の造成地で生じた水害によつて蒙つた旧海軍、共済組合の損害と相殺したことが認められる。

(三)  しかし、本件全証拠を検討するも整理組合が田村対造に代つて本件土地を他に売却する権限を有していたと認定できないし、また同人が整理組合に対し、同人に代つて本件土地を共済組合に売買することについて、明示もしくは黙示的に承諾していたものとは認め難い(なお、<証拠省略>によれば、同人は、昭和一三年一二月二〇日、移転補償費を整理組合から受けて本件土地上の同人所有の建物二軒を移転させていることは認められるが、右事実をもつて直ちに、同人が黙示的には承諾していたと認めるまでに至らない)。

したがつて、共済組合と田村対造間に本件土地の売買は成立しておらず、被告の本件土地が買収された旨の主張は、その余の点を判断するまでもなく採用できない。

三  次に、被告主張の時効取得の成否について検討する。

(一)  <証拠省略>によれば、(1)前記整理組合からの買収は、買収地全部を造成のうえ昭和一四年一〇月二四日までに共済組合に引渡すことになつていたところ、造成工事が遅延したため、買収地全体の引渡は、昭和一六年以降に終了したが、共済組合は、工員教習所と寄宿舎の建設を急ぎ、引渡期限以前でも造成ができた土地の引渡を受けて右施設の建築に着手した(寄宿舎は、昭和一五年一二月当時九割完成していた)こと、(2)買収地は、その南側が従前からの県道によつて画せられていたが、西側は民有地と地続きであるため境界付近に鉄条網を張り、買収地の北、東側に呉工廠があり、その防諜のためにも、買収地内の出入は、必要関係者以外は禁止されていたこと、(3)本件土地は、寄宿舎敷地の東側の空地にあたり、所有者の田村対造は、本件土地(甲地の(2)、乙地の(1)の各土地)上に一軒の家屋と物置を所有していたが、昭和一三年一二月二〇日、右建物の移転補償費の支払を受け、買収以後は、他の土地についての耕作も止めていたことが認められ、これを覆えすに足りる証拠はない。

右認定事実と弁論の全趣旨を総合して判断すると、共済組合は、本件土地を含め、その付近の買収地を右引渡期限(昭和一四年一〇月二四日)までには、整理組合から引渡を受けて占有を始めたものと認めるのが相当である。

(二)  <証拠省略>によれば、被告(旧海軍)は、昭和一九年一二月二八日、共済組合から本件土地を含め、その付近買収地を代金六四五、五三三円五一銭で買受け、本件土地の占有を始めたことが認められる。

(三)  そして<証拠省略>によれば、現在被告は、本件土地の一部を広島県に県道敷地、その路肩部分として(その範囲は、甲地(2)、(3)、(7)、(8)、乙地(1)の各土地全部と乙地(2)、(3)の一部)、また日本酸素株式会社に工場敷地として(その範囲は、甲地(4)、乙地(3)、(4)の各土地の一部)それぞれ使用させ、(広島県、昭和三九年四月一日から、日本酸素株式会社、昭和三三年ころから)、その余の土地は、被告が、その周囲を鉄柵(占領軍が設置)で囲んで自から占有している(なお、昭和三七年一二月ころから、被告の占有地の一部を末田守が使用するに至つたことは争いがなく、昭和四五年一〇月ころの使用収益の範囲、状況は、<証拠省略>の如きである)ことが認められる。

(四)  (1)もつとも、<証拠省略>を総合すれば、昭和二〇年三月一九日の空襲で工廠地帯は破壊され、寄宿舎もその一部を除き焼失した(なお、本件土地は数筆あり、当時どのような状態にそれぞれあつたか定かでない)こと、空襲後、本件土地を含む付近の買収地の一部を付近の住民が畑として耕作し、原告田村の母や原告末田においても、本件土地の一部を畑として耕作していたこと、当時工廠は壊滅状態で、買収地を含む工廠地帯を警護する管理人等はおらず、これらの耕作に対して強いて立退を求めるなどの措置がとれず、昭和二一年二月占領軍が本件土地を接収するころまで、この状態が続いたことが認められるが、他方右各証拠によれば、前記の耕作者ら(原告田村の母、原告末田を含む)は、前記道路と買収地の境界に残存した柵を乗り越えて本件土地付近の耕作地に入り込んでいたもので、また、原告田村は昭和二〇年二月から呉市を離れて岡山市に転居しており、原告田村の母や原告末田が本件土地の所有権を主張し、本件土地における他の耕作者らを排除したり、その耕作につき承諾を与える等の措置を講じたことはないことなどが認められる(右認定に反する<証拠省略>は採用しない)ことに徴すると右認定の住民の耕作の事実によつては、未だ被告の本件土地に対する占有が失われたものとは認め難い。

(2) また、本件土地の一部が昭和二一年二月一日から昭和三一年八月九日まで占領軍および駐留軍に直接占有されていたことは当事者間に争いがないが、占領軍の占領管理方式は、占領軍が直接に占領行政を行う直接管理方式ではなく、連合軍(占領軍)最高司令官が被告に対し所要の指令を発し、日本国政府がこれに基づいて統治を行う間接管理方式であつたのであり、不動産その他の調達部面についても占領軍が日本政府に対し調達要求を発し、日本政府がこれに基づいて調達の上提供して占領軍の需要を満すという調達制度がとられたことは公知のところであるから、本件土地についていえば、占領軍の直接占有により被告は間接占有をなしていたというに妨げない。また、昭和二七年四月二八日以降「日米安全保障条約の署名に際し、吉田内閣総理大臣とアチソン国務長官との間に交換された公文」により、アメリカ合衆国軍隊以外の国際連合軍に対しても、被告が施設等を供与することが取決められたが、本件土地の一部を占有していた占領軍である英豪軍は、その性質を国際連合軍と変えて昭和三一年八月一〇日まで本件土地の一部を直接占有していたもので、その間被告が間接占有していたと認められる。従つて、以上の認定に反する原告らの主張は採用できない。

(五)  以上によれば、被告は、昭和一四年一〇月二四日から本件土地を所有の意思をもつて平穏かつ公然と本件土地を占有しているものといわざるを得ないから(なお、昭和一四年一〇月二四日から同一九年一二月二八日までは前主たる共済組合の自主占有を承継している)、被告は、昭和一四年一〇月二四日の翌日から二〇年を経た昭和三四年一〇月二四日の経過により本件土地所有権を時効により取得したものと認むべきである(なお本件全証拠によるも被告が占有の始めに無過失であつたと認められないから一〇年の時効取得は容れられない)。

(六)  原告らは、被告の本件土地所有権を時効により取得することが権利の濫用である旨主張するが本件全証拠によるも、被告が本件土地を時効取得することが、憲法第一一条、第一二条、第二九条三項の趣旨に反して正義の理念にもとるものであると認められず、また、本件土地が占領軍に直接占有された以後、所有者である原告として所有権確認の訴を提起するなどして時効中断の方法がとれなかつたとはいえないことなどからみて、原告の右主張は採用できない。

四  そこで、被告主張の通謀虚偽表示、背信的悪意の当否につき判断する。

(一)  乙地につき、昭和三九年一二月二五日売買を原因として、原告田村から原告末田に対し所有権移転登記手続がなされていることは当事者間に争いがない。

(二)  <証拠省略>によれば、原告末田は、昭和三九年一二月二五日、原告田村から乙地を代金三五一、〇〇〇円で買受け、原告田村は右代金を受領していることが認められ、この事実と後記の各認定事実からみて、原告ら間の乙地の売買は、仮装した虚偽のものと認められず、他に右主張を認めうる証拠はない。

(三)  (1)<証拠省略>によれば、本件土地の買収が問題となつた昭和一三年当時、原告末田は、県立呉高等女学校の教師となり、昭和一六年の夏頃上京するまで父田村対造夫婦と同居し、原告田村は、昭和一三年三月から同一六年三月まで上京し、学生であつたこと、その後原告田村は、昭和二〇年二月までの間、対造夫婦と同居し、以来岡山市に転居したが、同年三月一九日呉市の空襲で対造が死亡し、以来同人の財産管理は母のカメ、弟の孝明が行つていたが、昭和三〇年七月六日、原告田村が乙地につき家督相続による取得の届出をなしたこと、原告末田は、買収の当時、対造と同居し、その経過等を聞知する機会のあつたところ、右空襲後、本件土地の一部を前記の如く耕作し、その後占領軍に接収され、刑務所の建物(モンキーハウス)や運動場として使用されていることを知つていたが、これに異議を唱えることはせず、また昭和三〇年一〇年三一日には、財務局長宛に本件土地の払下げを上申した(右上申書によれば、財務局員から対造が本件土地の買収を承諾し、譲渡承諾書に判を押していると言われたものの、これを明確に否定する根拠に乏しかつたことが窺われる)こと、なお、この間に同原告は昭和二四年に末田守と結婚し、守は、昭和二六年三月一四日に開かれた整理組合総会に対造の代りとして出席し、買収の事情、経過など知り得たが、右総会席上、買収の無効等の発言はなかつたことが認められる。

(2) また、<証拠省略>によれば、原告田村は、本件土地につき昭和三〇年から同三五年まで固定資産税、都市計画税等を支払い、昭和三六年一二月八日、本件土地に対し免税措置が講じられたが、二年後の昭和三八年九月になつて右免税措置の解除申請とその間の税金を払い込むなどし、また前三項日の本件土地の占有者である日本酸素株式会社に対し、昭和三三年八月占有物撤去を求め、昭和三八年四月以降になつて再び日本酸素株式会社と広島県に対し、その使用収益に関して抗議をなすに至つたが、これらは、買収の効力について、森川某が国を相手方として昭和三一年から訴訟で争い、昭和三七年七月一六日に第一審で同人が勝訴したことに起因していること、また右第一審において同人が勝訴した後の昭和三七年一二月になつて、原告末田の夫守は、乙地の一部を原告田村から借り受けたものとして資材置場、倉庫の敷地として占有したことが認められる。

(3) そして、右(一)の認定事実と<証拠省略>および弁論の全趣旨によれば、原告らは、本件土地がいぜんとして対造、その先代勝助の名義のまま登記されていたが、整理組合としては、買収代金を一応受け取つている状態であつて、呉工廠用地として使用され、以後、原告らが使用収益できない状況にもあることを知つており、その所有権帰属については半信半疑の状態であつたところ、昭和三九年九月八日、右第一審の控訴審も森川某の勝訴となり、また、その頃、末田守の占有に対し、国の抗議を受けるなどしたため、原告らは、対造の遺産分割の意味も含め通常より低廉な価格で右乙地の売買を行つたうえ、その数日後、本件訴訟を提起したことが認められる

(4) 右認定の各事実によれば、原告らは、被告が未登記で権利保全措置もとつていないのを奇貨として、時効取得の効果を対抗させないために乙地の売買とその旨の登記をなしたと認めるまでに至つていないが、売買に至る経過からみて、被告の乙地に関する時効取得の効果について、単なる通常の売買の譲受人と異なり、原告田村以上に保護に値する第三者と認め難く、被告の取得時効について、いわゆる背信的悪意者と考えるのが相当である。従つて、被告は、原告末田に対し、原告田村同様に、乙地に関する時効取得の効果を登記なくして対抗することができるといわねばならない。よつて、被告のこの点の主張は、理由がある。

五  よつて、被告の反訴請求は、主位的請求の時効取得の点において理由があるから、これを認容し、原告の本訴請求はすべて失当であるからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき、民事訴訟法第八九条、第九二条を適用し、主文のとおり判決する。

(裁判官 花田政道 谷口伸夫 三橋彰)

別紙 目録<省略>

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